2016年7月4日月曜日

健軍情報75-望むべき変化とは

 
なにごとも、移り変わっていくのは世の常だ。
被災地支援においては、一般に3ヶ月間が緊急支援なのだという。
だから、緊急支援で走り続けてきた支援活動も、そろそろ転機だ。
健軍教会避難所の終了は、よその避難所よりも少し早かったけれど、
一昨日、「できたしこルーテル」が継続的に支援してきた
愛児園/L.E.Cセンター避難所が、終わりの時を迎えた。
この先「あの時」を、どんなふうに思い起こすのだろう
最後まで残っておられた避難者さん方は、
ある方は雨漏りのする自宅に戻り、
ある方は抽選で当たった仮設住宅に入居し、
ある方は遠くの、ある方は近くの大規模避難所に、
それぞれに移動していかれた。
あとには、ガランとした体育館の床と、
できたしこの設置したプレハブ拠点が残されるのみだ。
今はもう、子どもたちの声が弾んでいるはず
健軍教会が、毎週炊き出しを続けて来た泉ヶ丘小学校避難所も、
今夜の、いわしのしそ巻き揚げを食べた避難者さんは、わずかに4人。
行政の担当者さんも一緒に、最後の晩さんを囲んだ。
この避難所も、みなさん明日中の退出が決まっている。
スタートした頃は130食を準備した
益城町の大規模避難所は、
閉鎖された小規模避難所からの方々を受け入ながら、
まだ数百人もの避難者さんが生活しておられる。
その多くは、仮設住宅の当選待ちの方々だろう。
益城は仮設住宅の建設が遅れている。
残念ながら、行政の力量にも格差があるといわざるを得ない。
準備の早かった西原村の木造仮設は まるで復興住宅のよう
そこで益城町では、行政の動きを待っていられない、と、
地元の商工会議所が中心になって
「益城復興市場・屋台村」がオープンした。

教会の隣の焼き鳥屋「雀暮林」の大将も、被災した自宅近くの
この屋台村に、仮店舗をオープンさせた。
いまは、仮店舗で営業を続けながら、
健軍に帰ってくるための店舗物件を探しておられる。
教会の隣の旧店舗は、いまや更地になり、
なんだか妙に見通しも良くなって、
教会周辺の風景も移り変わってゆく。
更地になってしまった「旧」雀暮林跡
 「できたしこルーテル」は、避難所閉鎖の後も、
愛児園とL.E.C.センター両園の理解を得て、
当面、同所のプレハブ拠点を維持する方針だ。
これまでの活動で紡いできた人間関係をベースに、
新たな場所に移られた避難者さん方をフォローしていくほか、
現在続けている益城での引越手伝い・ガレキ処理の活動を継続していく。
「今後の方針」が議論された先月末の対策本部会議
ただ、避難所をベースにした緊急支援から、
仮設住宅での課題等をフォローしていく中期的な支援へと
支援のあり方も移り変わってゆくのは必然のこと。
だから今は、走りながら、そのあり方を模索している。
最後の晩餐だけに、ちょっと手の込んだメニューだった
変化の時は、難しいときでもあるけれど、 
いろいろな可能性を秘めたときでもある。
遅かれ早かれ、あれもこれも移り変わってゆくのは、
当然のことだとしても、
その変化を、望むべき変化としていけるかどうかを決めるのは、
環境要因だけではないはずなのだ。
 
健軍教会避難所を支え続けた女性会の面々(の一部)
 
 

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