2016年7月28日木曜日

健軍情報81-掘完二写真展

広安愛児園/LECセンター避難所の避難者さんであった
カメラマン、掘完二さんの写真展に出かけた。
「熊本地震-益城-」と題された写真展。
堀さん自身の街である益城町の木山や惣領で写し取った
被災直後、そして約1ヶ月後の街の様子が、
40余枚の写真に収められている。
 そこに写し取られているのは、
確かに傷つき、痛んだ街の姿だ。
けれども、「いかに悲惨な状況か」ということを
強調するかのようにフレームされた報道写真とは、
どこか違った空気がある。
 
それを、うまく表現するのは難しいのだが、
堀さん自身のキャラクターが反映された
「少し引いたやさしさ」、とでもいうべき何かが、
これらの写真に、写し込まれている、というふうに
わたしには感じられるのだ。
 
当初、この写真展を健軍教会でも開催させて戴けないか、と
堀さんと話しあっていたところであった。
しかし、100日間がすぎても、
震災後1ヶ月後に撮られた写真と、何も変わっていない益城の街と
すぐ隣接している健軍の地域で開催するのは、
やはりまだ無理があると思える。
健軍もまた、その辛い現実を生きている人が暮らしている街なのだから。
そのようにつらつらと思いめぐらしていたら、
「できたしこ」のボランティアを終えた博多教会の池谷牧師が、
写真展の会場にやってこられた。
そこで、他県の方々にこそ、この写真を見ていただきたい、
という思いをわかちあうことができ、
池谷牧師が、ご自身の博多教会での写真展の開催について
教会と相談してくださることになった。
 
多くの方々が、一枚の写真を通してでも、
痛みの中にある人々に思いを寄せることができるように、
教会もまた、お互いに連携しながら働いていきたい。
そして、仮設住宅の抽選に漏れ、
いまだに避難所での生活を続けておられる堀さんの
生活の再建をも、祈っていきたい。
 

2016年7月27日水曜日

真夏の夜のジャズin健軍教会

暑いです。
こんな暑い日は、エアコンの効いたけんぐん教会の礼拝堂で、
クールな「真夏の夜のジャズ」といきましょう。
けんぐん水よう音楽会 恒例の
夏のジャズシリーズ。
今年は、山野修作さんのギターと
末永祥子さんのヴォーカルでお届けします。
 
せっかくですので、今夜の
セットリストを半分だけご紹介しましょう。
 
Love
Lullaby of birdland
Smile
You'd be so nice to come home to
Moon river
It don't mean a thing
 
他にも名曲がまだまだ・・・。
今夜の7時30分より
Live@健軍教会です。


健軍情報80-宗教者として

昨日は、熊本地震宗教者支援連絡会議、なるものに参加し、
キリスト教会の事例として、
ルーテル教会の支援活動について報告させていただいた。
うつくしい夕焼けは、がんばった1日へのご褒美。
会場となった国際交流会館の会議室には、
支援活動に取り組んでいる50名ほどの宗教者が集い、
それぞれの所属団体の取り組みなどがわかちあわれたが、
多くの団体が集い、それぞれ独自の働きがある中で、
現場の意見交換をつくりだすにはやや時間不足。
消化不良の思いを抱かれた方々もおられたかもしれない。
なにしろ、立正佼成会、真如苑、日蓮宗、創価学会、
藤崎八旛宮、真宗大谷派、天理教、神社本庁、金光教などなど、
日頃あまりおつきあいのない方々同席での、
限られた時間での初顔合わせでしたから。
個人的に興味深かったのは、関西にいたころの大先輩
草地賢一さんの立ち上げた被災地NGO協働センターから熊本に入り、
西原村で活動しておられる頼政さんの話。
そして、被災障がい者の支援に特化して取り組んでおられる
被災地障害者センターくまもと、の岡﨑さんのお話しでした。
余力があれば、あちこち出かけてつながっていきたい思いが湧いてきますが、
足許のことも大切ですから、
やりたいこととやれることのバランスをとることも大切、と自戒。
 
今回の会議は、東京の担当者レベルの出席者も多く、
今後は、現地で働いておられる方々の意見交換が有益かもしれないですね。
キリスト教界からは、大江の立野牧師と多田神学生、
他に九州キリスト災害支援センターを担っている
アッセンブリーの本堀牧師くらいでしたから、
キリスト教からの参加が少なかったことも、少し残念でした。
 
会合が終わって夕方、
震災後、まだゆっくり見ることが出来ていなかった熊本城を散策しました。


確かに、見るだに痛々しい姿。
熊本に住んで13年たつあいだに、
私にとってもそれなりに愛着のあるお城になってきていたのだと、
あらためて思わされました。

それでも、健軍人にとっては、サンリブの方が大切なのですが・・・。

2016年7月16日土曜日

健軍情報79-ブロック崩し

7月14日「できたしこルーテル」











わたしが参加できるのはごくたまのこと。
いつもは2~3人での作業。
しかも、すぐに雨でブロックされますから
大がかりなボランティア募集はいまのところ難しいようです。

2016年7月15日金曜日

健軍情報78-「新聞」にする

    7/1             山肌がごっそり削られている阿蘇大橋の崩落現場   

地震以降、意識して「変えた」ことのひとつが、
「新聞」をとることにしたことだ。
いや、新聞なら以前からずっと毎日新聞をとってきた。
でも、その毎日をやめて「新聞」にしたのだ。
熊本では、「新聞」といえば、熊本日日新聞だ。
クマニチ以外は、「新聞」とは呼ばれず、
それぞれ「朝日」や「毎日」と呼ばれている。
だから「毎日」を読んでいても、
熊本で「新聞」を読んでいることにはならないのだ。



 そして、全国で報道されようがされなかろうが、
被災地は、今もずっと被災地を生きている。
だからやはり、地元の「新聞」の情報が必要なのだ。

そんなわけだから、健軍教会避難所が「朝日」の一面で取り上げられても、
熊本の人たちからはほとんどリアクションがない。
むしろ、県外の方々から「読みました」などというメールを戴いたものだ。
「新聞」(=クマニチ)に載っていることはみんな知っている。
そうでないことは・・・、という熊本なのだ。
       7/5                           益城では危険な建物がいまもそのままに       
さて、地震から3ヶ月の熊本。
「新聞」の一面には、避難所で生活する方々の人数が
4692人であることが報告されている。
この間、小規模避難所の閉鎖があいついでいたので、
その人数の多さにあらためて驚いた。
繰り返すが、なお4700人弱である。
あれから3ヶ月も経つのに、数千人の方々が
体育館の床の上で寝て、起きて、食事して、生活しておられるのだ。
そこから通学し、通勤し、定期考査を受けに行き、誕生日も祝う。
加えて、県外避難の方、自宅の庭先の
クルマやテントなどで生活しておられる方も少なくはない。
 
 先日、「できたしこ」のボランティアとして、益城の大規模避難所に出かけた。
愛児園/LEC避難所が閉鎖になり、移ってこられた避難者さんを訪ねたのだ。
この避難所では二百数十人の方々が生活しておられて、
エレベーター前にも、廊下にも布団が敷かれている。
「新入り」の彼が入った教室ほどのスペースには、
高校生の息子さんがおられる世帯も避難中だった。
思春期のこどもが、プライバシーもない床の上で3ヶ月間も、
いったいどのような思いで生活しているのだろうか。
7/8       いまも200人以上が生活している益城の大規模避難所
ひとりひとりの避難者さんが、
それぞれに重い思いを抱えておられる。
あるお母さんからは、学校で「〇〇んち、赤紙(危険家屋)ばい」と云われ
子どもが学校に行きたがらなくなった、という話を聞いた。
また、疲れからか、家族が順番に熱を出して寝ている、
という家族もおられた。

益城では、ようやく倒壊住宅の公費解体がスタートしたばかり。
市内では、すこしずつ危険家屋の解体がすすみはじめ、
更地になった場所も増えはじめたが、
益城では、まだほとんどの倒壊家屋がそのまま放置されている。
今にも道に倒れかかりそうなビルや家屋の傍が、
子どもたちの通学路になっている。
周辺一帯が廃墟と化した地域にも、
そこで生活しておられる方々がおられるのだ。
住宅の問題は深刻で、一部損壊では仮設住宅には入れない。
ちなみに、県下に建設が予定されている応急仮設住宅3631棟のうち
完成したのはまだ4割割ほどだという。



教会員さんが住んでおられた地域。人影まばらだが明かりが灯る家も。
電柱は、2メートル以上も地中に沈んだまま。
 昨日は、業者不足で工事が進まない益城町の住宅街に、
ガレキ撤去のボランティアにでかけた。
ぐらぐらになって危険性が増しているブロック塀を破砕・撤去し、
ガレキを処分場へと運搬するのだ。
「できたしこ」では、こうした地道な働きのため、専従の牧野氏を中心に、
福岡・山口の牧師さん方がチームになって、黙々と取り組んで下さっている。
このところ豪雨が続くので、長駆熊本入りしてボランティアに備えでも、
雨がひどいと処分場が閉鎖になって仕事が出来ず、
何しに熊本まで来たのかわからなくなってしまうような日も少なくない。
わたしはたまに同行して、写真を撮って帰ってくるくらいのことだから、
黙々と熊本で汗を流してくださる働きには、ほんとうに頭が下がる。
ありがたいことだ。




それでわたしはといえば、
震災ボケのアマタを用いて、
被災地の教会に何ができるかを、
ぐるぐると考えている。
 
とりあえず、こんどの日曜日は
緒方宏明先生をお招きして、
震災前から企画していた夏の公開講座
「乳幼児期における愛着形成とその後の心の問題への対応
~今回の地震の状況を含めて~」を開催する。
7月17日(日)13時から。
どなたでも参加自由。入場無料のプログラムである。
先日も、めぐみ幼稚園のお母さんたちから、
「子どもが聞いたこともないような攻撃的な言葉遣いをする」、
などといった震災後の子育ての悩みを聞かされた。
被災地の子どもたちに典型的な症状だ。
そうしたお母さんたちの悩みに応えるために、
熊本のルーテル系の幼稚園長さんたちとともに製作協力した、
チャイルドファンドジャパンの小冊子
「被災地の親と子どものこころのケア」が完成した。
今週中にも、熊本県下の幼稚園で一斉に配布される予定だが、
関心のある方は、チャイルドファンドジャパンに連絡していただければ、
必要部数をお送り下さるはずだ。
https://www.childfund.or.jp/blog/
 
そして来週の土日には、
行定勲監督の「うつくしいひと」のチャリティ上映会。

-----      第5回観光映像大賞受賞      -----


7月23日(土)19:00~ 24日(日)14:00~
それぞれ、大林由紀さんの弾き語り 加藤麻衣子さんのオルガン演奏も
併せてお楽しみいただける企画である。
これについては、熊本の人たちはみんな観たい映画なので、
周囲の方々の関心も高い。
今から、お客さんが入りきらなかったらどうしよう、
などと要らぬ心配をしたりしているところ。
 
そんなこんなで、あっという間に毎日が過ぎていくのだけれど、
目を開いて、耳を開いて、
被災地の日々に、被災地の人々に、心に留めていきたい。
この地に生きるものとして、
この地に立つ教会として。
7/1 十字路を埋める土砂   阿蘇 土砂崩れの被害は今も続く
 

2016年7月9日土曜日

健軍情報77-「うつくしいひと」チャリティ上映会

「くまもと映画プロジェクト」作品として今春公開され、
直後の熊本地震以降、
全国で被災者支援のチャリティ上映が行われている
映画「うつくしいひと」。
 
熊本出身の行定勲さん(めぐみ幼稚園)が監督され、
高良健吾さん(九州学院)をはじめ、
橋本愛さん、姜尚中さん、石田ゑりさん、くまモンら、
熊本にゆかりのある方々の出演により製作された熊本の映画です。
震災前の熊本のあざやかな映像を背景に
昔日のほのかな恋心を叙情的に描いた、
うつくしい作品です。
 
 
 
 
健軍ルーテル教会でのチャリティ上映会が決定しました。
7月23日(土)19:00~
7月24日(日)14:00~
以上、2回上映です。
 
 
 
チケットはありません。
会場に、募金箱が設置されます。

 


愛着形成と心の問題への対応

健軍教会の夏の公開講座です。
講師は尚絅短期大学の緒方宏明先生。
わかりやすいお話しに定評があります。
どなたでも参加自由。
費用負担もありません。



2016年7月8日金曜日

健軍情報76-ただの本棚のはなし

長い道のりだった。
これを過去形で語ることが出来ることが、
どんなに嬉しいことか。
前震直後の様子と翌日一応片付けた後
とはいえ、たいした話ではない。
ただの、わたしの書架の話。
2度にわたって床一面を覆った本の海は、
その後3ヶ月近く、牧師室の床を占拠し続けた。
しかし、片付け終わった数時間後に再度この有様
このイス上で罹災したが、怪我はなかった。
片寄せられるのに3日間。
平積みにされたままで1ヶ月。
書架を組み立てて補強の柱を入れる作業に2週間、
検索できるように床の上で背を見せて縦置きされた状態で2週間。
それから、項目分けされてぜんぶが書架に収まるまでにさらに3週間。
〆て2ヶ月と3週間。
震災後1ヶ月。まだ書架が組み上がらない。
今日、ついに最後の1冊が書架に収まった。
床の上には、1冊の本も無い。
まったく普通のことであるにもかかわらず、
そのことがなんと気持ちのよいことか。
補強された書架の完成
わたしにとっての「復興」の一里塚。
ただ、「復興」とは、昔と同じ状態に戻ることではない。
新しい存在になること。
わたしの書架も、補強の柱が入って崩壊しづらくなった。
書架設置のデフォルトから
加速度的に混沌に向かいつつあった書籍の分類は、
一応綺麗に当初の秩序を取り戻した。
少しずつ本が書架へ。
ここにいたる道のりは、短くなかったのだから、
なにかお祝いでもしたい気分。
願わくば、もう書架が倒れるほどの
余震は、ごめんこうむりたい。
しかし床にはまだ大量の本が・・・。
とはいえ、これはただの書架の話。
被害認定の二次審査をまっている半壊家屋の話でも、
仮設住宅の抽選の話でも、
半年待ちと言われている屋根の修理の話でもない。
単なる書架の話にすぎない。
ようやくすべての本が書架へ
 書架ごときで雀躍するのも申し訳ない話。
でも、ここは率直に喜びを表現しておこう。
たとえリビングや寝室や玄関や倉庫の復興が道半ばだとしても、
この件に関してのみは、もうプロセスは終了したのだから。
素直にうれしい・・・。
そして床の上には本がない!
 でも、謎も残った。
この際だから余分な本は処分しようと、
段ボール箱5箱分の書籍との別れを決めたのだが、
それらを省いたにもかかわらず、
書架にはその分の余裕がまったくない。
それが謎。

2016年7月4日月曜日

健軍情報75-望むべき変化とは

 
なにごとも、移り変わっていくのは世の常だ。
被災地支援においては、一般に3ヶ月間が緊急支援なのだという。
だから、緊急支援で走り続けてきた支援活動も、そろそろ転機だ。
健軍教会避難所の終了は、よその避難所よりも少し早かったけれど、
一昨日、「できたしこルーテル」が継続的に支援してきた
愛児園/L.E.Cセンター避難所が、終わりの時を迎えた。
この先「あの時」を、どんなふうに思い起こすのだろう
最後まで残っておられた避難者さん方は、
ある方は雨漏りのする自宅に戻り、
ある方は抽選で当たった仮設住宅に入居し、
ある方は遠くの、ある方は近くの大規模避難所に、
それぞれに移動していかれた。
あとには、ガランとした体育館の床と、
できたしこの設置したプレハブ拠点が残されるのみだ。
今はもう、子どもたちの声が弾んでいるはず
健軍教会が、毎週炊き出しを続けて来た泉ヶ丘小学校避難所も、
今夜の、いわしのしそ巻き揚げを食べた避難者さんは、わずかに4人。
行政の担当者さんも一緒に、最後の晩さんを囲んだ。
この避難所も、みなさん明日中の退出が決まっている。
スタートした頃は130食を準備した
益城町の大規模避難所は、
閉鎖された小規模避難所からの方々を受け入ながら、
まだ数百人もの避難者さんが生活しておられる。
その多くは、仮設住宅の当選待ちの方々だろう。
益城は仮設住宅の建設が遅れている。
残念ながら、行政の力量にも格差があるといわざるを得ない。
準備の早かった西原村の木造仮設は まるで復興住宅のよう
そこで益城町では、行政の動きを待っていられない、と、
地元の商工会議所が中心になって
「益城復興市場・屋台村」がオープンした。

教会の隣の焼き鳥屋「雀暮林」の大将も、被災した自宅近くの
この屋台村に、仮店舗をオープンさせた。
いまは、仮店舗で営業を続けながら、
健軍に帰ってくるための店舗物件を探しておられる。
教会の隣の旧店舗は、いまや更地になり、
なんだか妙に見通しも良くなって、
教会周辺の風景も移り変わってゆく。
更地になってしまった「旧」雀暮林跡
 「できたしこルーテル」は、避難所閉鎖の後も、
愛児園とL.E.C.センター両園の理解を得て、
当面、同所のプレハブ拠点を維持する方針だ。
これまでの活動で紡いできた人間関係をベースに、
新たな場所に移られた避難者さん方をフォローしていくほか、
現在続けている益城での引越手伝い・ガレキ処理の活動を継続していく。
「今後の方針」が議論された先月末の対策本部会議
ただ、避難所をベースにした緊急支援から、
仮設住宅での課題等をフォローしていく中期的な支援へと
支援のあり方も移り変わってゆくのは必然のこと。
だから今は、走りながら、そのあり方を模索している。
最後の晩餐だけに、ちょっと手の込んだメニューだった
変化の時は、難しいときでもあるけれど、 
いろいろな可能性を秘めたときでもある。
遅かれ早かれ、あれもこれも移り変わってゆくのは、
当然のことだとしても、
その変化を、望むべき変化としていけるかどうかを決めるのは、
環境要因だけではないはずなのだ。
 
健軍教会避難所を支え続けた女性会の面々(の一部)