2016年6月29日水曜日

健軍情報74-小鉄のことを書いておこう

小鉄は、哀しくもしあわせな猫である。
健軍教会が大きな混乱のただ中にあった4月の下旬、
小鉄は健軍教会にやってきた。
いつ、どのようにしてやってきたかは誰も知らない。
教会は40数名の名前もわからない避難者さん方に、
三度の食事と寝る場所を提供することに手一杯で、
正直、猫のことまで気が回らなかったのだ。
 
避難者さんの中には、
犬と一緒に来られる方、猫と一緒に来られる方、
中にはトカゲや蜘蛛のゲージを持ち込まれる方もおられたし、
また避難者さん方自身の出入りも激しく、
駐車場で車中泊をなさる方も多かった。
避難者さん方が固定化し、みなさんのお名前をうかがって、
誰が教会に住んでおられるのかを把握できたのは、
4月も終わろうとする頃のことであった。
 
そんな混乱した日々の中、気づくと小鉄は、
駐車場の片隅で、避難者さん方からエサをもらっていた。
心身ともに深い傷をおった避難者さん方が、
自身と同じように奇遇先を求めていた迷い猫に、
名前と食事を提供するようになっていたのだった。
名前の由来ははるき悦巳の「じゃりン子チエ」から
小鉄は、愛想の良い猫である。
かわいがってくれる相手には、
顔を見つめ、じゃれつき、お腹を見せて横になる。
猫好きな飼い主さんにかわいがられてきたことが伺い知れる。
エサをくれる避難者さんをわかっていて、
お腹が減ってくると、よく足にカラダをすり寄せてエサをねだった。
多くの避難者が彼によって癒やされ、
ひとときの和みを得たのだった
 
 
避難所の運営も1ヶ月をすぎ、5月も下旬になると、
毎週のように避難者さん方の「卒業」が続いた。
「避難者ゼロ」が、視野に入るようなり、
避難者ならぬ、避難猫小鉄の行方が焦点として浮上した。
 
エサを提供する避難者さんも減り
小鉄はいつも、お腹を減らして
通りかかる誰彼なくすり寄っては
エサを求める仕草を繰り返すようになった。
しかし、猫を飼う環境にない者たちは、
安易なえさやりを躊躇せざるを得なかった。
避難者さん方も、自身の生活もままならない中、
新たな家族を抱え込む余裕はないようだった。
 
 
5月が終わる頃、最後の避難者さんが教会を後にした。
それでも、小鉄には行き先がなかった。
教会の駐輪場のブルーシートの上が、彼の寝床だった。
小鉄の写真を撮り、飼い主を探すチラシをつくって
近隣のコンビニに貼り出したが、
有益な情報は得られなかった。
 
 
小鉄の体重の減少が少しずつ目につき始めた
6月のある日曜日、
礼拝に来られた教会員さんが、とうとう決断を下された。
雨の降りしきる中、
帰途につこうと開いたクルマのドアに滑り込んできた小鉄を、
ついに「うちのねこ」にする腹をくくられたのだった。
小鉄が、健軍教会避難所を「卒業」できた瞬間だった。

 
その後のことも、
書いておいた方がいいだろう。
実は小鉄は今、病院にいる。
「うちのねこ」にするにあたって、
教会員さんにつれていかれた健康診断で、
猫白血病に罹患していたことが明らかになったのだった。
地震を期に、やさしい飼い主さんとはぐれて住処を失い、
ひとときを健軍教会避難所で生き延びたものの、
重篤な病をえてしまっていた小鉄。
 
彼はしばらく病院でインターフェロンの投与をうけ、
症状が落ちついたら、教会員さんの自宅に戻ることになる。
それでもきっと、そう長く生きることは出来ないだろう。
しかも、猫白血病は、猫どうしで伝染する可能性があるため、
その会員さんが飼っている他の猫たちと一緒に住ませることもできない。
それでも猫好きな教会員さんは、小鉄に新しい名前を与え、
自宅を離れた息子さんの部屋に、彼専用のゲージを設置して、
病院へのお見舞いを繰り返しながら、彼の帰りを待っている。
 
 
2代目のとらちゃん。
これが、小鉄の新しい名前である。
地震前、おそらくやさしい飼い主さんにかわいがられていた小鉄は、
地震をきっかけに、飼い主さんとはぐれて健軍教会避難所にやってきた。
ここで避難者さん方の心を癒した小鉄は、
今は、新しい飼い主さんのやさしい看病をうけながら、
新しい住処に帰る日を待っている。
 
小鉄は、いや、とらちゃんは、
哀しくもしあわせな猫なのである。

追記

7月8日。小鉄=とらちゃんは、
新しい飼い主のご自宅で、天に召されました。
同日、親しかった避難者さんとともに、
教会にてお別れのお祈りをいたしました。

小鉄をかわいがって下さったみなさま、
また小鉄のためにお祈り下さったみなさま、
どうもありがとうございました。

 

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