2017年6月23日金曜日

今週の礼拝予定[熊本地区講壇交換]

6/25 聖霊降臨後第3主日礼拝

 熊本地区講壇交換
 
 
健軍教会
 
主日第2礼拝 10:30から
説教:「岩を土台として建てる」長岡立一郎牧師
 
※ 早朝6:30からの主日第1礼拝はお休みです。
 
※ 小泉牧師は、6/24(土)宇土教会 6/25(日)水俣教会 6/26(月)唐津教会でのご奉仕です。

2017年6月20日火曜日

健軍情報117-ライトハウス食堂棟ようやく着工へ

健軍教会の関係施設の中では、
もっとも建物被害の大きかった熊本ライトハウス。
ようやく食堂棟の改築に向けて、
工事が動きはじめた。
一帯は、市内でも被害の大きかったエリアで、
教会からライトハウスまでのわずか歩いて数分の道のりにも
たくさんの解体待ち、解体中、更地、建設中の物件が並んでいる。
廃墟となった解体待ちのアパート 空き地にも家が建っていた
 
一見だいじょうぶと見えた住宅も気づくと解体中
 
この四つ辻も、軒並み建物が消失した。
昨年4月以来、使用不能になって
不便な状況が続いていたライトハウスの食堂棟。
1年を過ぎて、ようやく補助金が出る見通しが立ち
解体工事が始まりました。
近年建替が続いてきたライトハウスの建物の中で
この食堂棟は、すでに最も古い建物になっていた。
思い出の詰まった懐かしい建物が、
またひとつなくなることになるのだが、
月末には、新しい食堂棟の起工式が予定されている。
 
地震の後は、半年以上も、福祉避難所として
地域の中で大切な役割を果たした熊本ライトハウス。
新しい建物とともに、また新しい想い出を紡いでいってほしい。





2017年6月19日月曜日

なりきりルター礼拝

健軍教会は、近隣の甲佐教会、神水教会
松橋教会、水俣教会、八代教会とともに
南熊本群という相互協力のグループに属しています。
6月18日は、毎年1回行われる初夏の集い。
やはり今年はルターを学びましょう、ということで、
おこないました「なりきりルター礼拝」。
よっぱらいをたしなめるルター
ながらくルーテル教会に通っていても、
また、ルーテルとはルターのことである、とは知っていても
意外と知らないルターの生涯。
今回は合同礼拝の中で、ルターの生涯をふりかえりつつ、
大切な局面では、ルター風のベレー帽をかぶって、
ルターになりきって、ルターの言葉を味わいました。
教皇への「忖度」を求めるルターの友人たち
笑いあり、笑いあり、のルターの生涯。
みなさんの迷演技の連続に、
あっというまの1時間半でした。
また、来年・・・という前に
今年は九州教区合同の宗教改革主日礼拝が待っています。
また、秋にお会いしましょう!
みなさんひとつづつ、ルターの言葉のお土産をいただきました




2017年6月18日日曜日

サムエルナイト-ダビデの竪琴を感じて

6月10日~11日、健軍教会恒例の、
子どもたちのお泊まり会、サムエルナイトが行われました。
今年のテーマは「ダビデのたて琴」。
この日、熊本ライトハウスで行われた
池田千鶴子さんによるハープの演奏会を聴きに行き、
本格的なハープの音色を堪能した後、
教会で、小学生はギターもどき、
中高生は琴もどきを作成しました。
捨てずにとっておいた印刷機のインクのボトルと
マスターの芯が役立ってくれました。
 翌日の花の日礼拝には、
広安愛児園の子どもたちも多数参加して
「大人と子どもがともに守る礼拝」。
池田先生にハープを教わっておられる教会員さんが、
礼拝でも本物のハープを披露してくださいました。
お話しはもちろん、ダビデのたて琴。
子どもたちとクイズ大会でコラボしながら、
楽しくダビデの前半生を学びました。
1泊2日のサムエルナイト、
また次回が楽しみです。


 

2017年5月26日金曜日

健軍情報116-宇土さんのポートレート

 災から1年が過ぎた頃、ルーテル教会の被災者支援チームであった「できたしこルーテル」の仲間たちが再び熊本に集まった。熊本での働きを応援してくださった全国の方々に、熊本の今と感謝の思いを伝えるために、フォトムービーを作成しよう、ということになったのだ。みんなで手分けして、チームの働きで出会った方々の写真を撮らせてもらうために熊本を走りまわった。
 その日わたしは、写真を撮らせてもらうために宇土俊作さんを訪問した。宇土さんとの出会いは、昨年4月の17日。熊本で本震のあった翌日のことだ。大江教会の立野先生から、県庁に避難しておられる会員さんが避難先でこの3日間、何も食べていないらしい。先生のところで受け入れてくれないか、と相談があり、九州学院の学生時代からの旧友で、いろいろとお世話をなさっておられた岩﨑國春兄が、健軍教会にお連れくださったのだ。

 くところによると、宇土さんのお父さまは九州学院の教員で、熊本の体育界にその人ありと知られた有名な柔道家だったのだそうだ。なるほど宇土さんも立派な体格をしておられる。けれども、避難所で食糧配給の列に並ぶことが出来なかった、ということからもうかがいしれるように、宇土さんは極端に人付き合いの苦手な方であった。健軍教会避難所にやってこられてからも、食事の時こそみんなといっしょに食卓につきはするものの、終わるとすぐに自分の布団に戻っていかれ、いつも難しい顔をして、ほとんど誰とも会話を交わす様子は見受けられなかった。避難所の初期の頃は、みんな自分のことに必死であったから、そんな宇土さんの様子に気をとめる人も少なかっただろうと思う。
 けれども教会避難所はすぐに解消へとは向かわず、徐々に人数を減らしながら、2週間、1ヶ月と共同生活が続いていくことになったので、宇土さんも少しずつ、避難者さん同士の会話に入ってこられるようになっていった。

 土さんの場合の問題は、水前寺の自宅が全壊したあと、新しく住む場所をなんとかすることであった。なかなか物件の少ない難しい時期ではあったが、知り合いの不動産屋さんを頼って小さなアパートを確保することができ、引っ越しは「できたしこ」のボランティアチームが担った。無事に引っ越しを終えることが出来たのは、5月も終わりが近くなり、避難所解消も目前となっていた頃のことであった。
 この引っ越しのために、一緒に不動産屋をまわったり、生活のための相談をしていく中で、宇土さんは時折、おどろくほどの柔和な表情を見せてくださるようになった。決して口数は多くはないものの、引っ越し先が確定したときには、「これでやっとほっとすることができました」と、肩の荷が下りたような、やわらかい表情をなさったことをよく覚えている。
 また、わたしの息子が九州学院のラグビー部に入部したことを知ると、同じ九学ラグビー部の先輩として、息子の事を気にかけてくださる様子が、そこはかとなく伝わってきた。

 っ越しを終えてからしばらくした頃、新居を訪問した。この時、宇土さんはポツポツと、次のようなことを話してくださった。
 自分は、父親が九学を退職した時分からずっと水前寺の家で暮らしてきた。両親が亡くなった後は妹とふたり暮らしになり、そのあとも長い間、妹とふたりで暮らしてきた。けれど2年前に妹が亡くなってからは独りになってしまい、いろいろなことを思い出しては、ひとりで鬱々とするようになった。気持ちが沈んで、この2年間は、なくなった両親や妹を思い出しては、ずっと沈んだ気持ちですごしてきた。けれども健軍教会での生活は、大勢の人たちとの生活で、ひさしぶりに楽しい思いをすることができたのだ、と。

 震によって家が壊れ、避難生活をしなければならない、というのは辛いことである。その壊れてしまった家が、大好きな両親や妹弟との思い出の詰まった家であるなら、なおさらのことだろう。けれども宇土さんは、避難所の濃密な人間関係の中で、ひととひととがつながる喜びを回復されたようであった。この4月にお訊ねした折にも、ささえりあ(地域包括支援センター)のお世話で、デイケアに通っていることをうれしそうにお話しくださり、とてもおだやかな柔和な表情で、生活が落ちついている、と語られた。そしてそのやさしそうな表情のまま、アパートの自室の前で、フォトムービーのための写真に収まってくださったのだった。その写真に写った宇土さんの手には、「気持ちが落ちつきました。ありがとうございます。」と綴られたメッセージボードが握られている。とてもやさしい笑顔の、宇土さんの数少ないポートレートである。

 のポートレートが、宇土さんの遺影となった。宇土俊作さんは5月24日、脳出血のためにアパートの自室で倒れて帰らぬ人となり、葬儀は5月26日に大江教会で行われた。やさしい表情の宇土さんの写真は、この大江教会の祭壇に飾られた。
 見方によれば宇土さんの死は、地震によってみなし仮設でひとり暮らしをすることになった高齢者の「震災孤独死」である。でも、わたしはそのように一括りにはしたくない。宇土さんは、確かに人付き合いが苦手な方ではあったが、もはや孤独ではなかったことが、この写真の温顔からうかがいしれるからだ。
 実は先日、宇土さんをケアするささえりあの担当者から電話があった。宇土さんが利用したいと希望しておらる、緊急通報システムという福祉サービスの協力員としてお手伝いいただきたい、との依頼の連絡の電話であった。もちろん承諾して書類を送ったが、残念ながら今回は、利用をはじめたばかりの緊急通報システムは、宇土さんの命を救うためには役に立たなかったようだ。けれども、たとえ不器用そうであった宇土さんが、その緊急システムを上手く扱えなかったのだとしても、宇土さんが孤独を抜け出て、ひととひととのつながりに中を生きていたのであれば、これは「孤独死」ではない。
 大好きであったご家族と、思い出の中だけではない再会を果たされた宇土さんが、いまもあの温和な表情のままで神さまのもとにおられることを、わたしは、確かに信じることが出来るのだ。